2016年04月08日

マウス画伯

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サロン薔薇と迷宮 2016年 6月3日(金)〜7月3日(日) 15時〜22時


繋がる繋がるミラクルワールド!
あるときはお金の奴隷、あるときはお金持ちの奴隷、そしてみんなの奴隷、愉快な奴隷獣、ホモ・サピエンスと遊ぼう!
ところで、「ホモ・サピエンス」ってラテン語で、現生人類の学名で、賢い人間って意味なんだって。


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ホモサピエンス予告 from Tomomichi Nakamura on Vimeo.

アニメーション作品「ホモ・サピエンス」も堂々完成!

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意外にも本格的!?これを見て、底辺乞食作家の中村智道さんを援助しよう!

再生ボタンを押したら最低100円必要なアトラクションだよ!もちろん上限なし!

どんどん恵もう!


目を閉じて、想像してごらん!国境の無い世界を・・グローバルなそこには貧困も苦しみも無いような気がするよ..まずは信じること。。


そして世界は繋がった・・実感出来る出来ないも、お金次第!

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2016年01月14日

湯原温泉AIRについて

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展覧会「スピリッツ零三」の様子
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(湯原温泉AIRのチラシ両面)

この事業になぜ行き着いたかについてですが、2015年は、まず作品「天使モドキ」のタンペレ映画祭インターナショナルコンペティションノミネートから始まることになりました。それ以前に2014年秋に行われた岡山県の事業の「まちアートマネジメント講座」というイベントがあって、そこで初めてスピリッツシリーズがお目見えすることになりました。基本的には、現代の、誰にでもOKでなければ存在してはいけないような風潮にある各分野に対するアンチテーゼのような内容で、その状況の認知と打破を目指すような内容の作品でした。翌年「天使モドキ」は岡山芸術文化賞で準グランプリを受賞し、それらの評価が同じく県の事業である今回のイベントに繋がったのだと認識しております。当イベントのメインの展示となる「スピリッツ零三」に関しては、タンペレ映画祭の後に、広島県福山市の”サロン薔薇の迷宮”で行った「薔薇と祭壇」展に続くスピリッツシリーズ第三弾となり、素直にその題名を命名しました。この、「スピリッツ零三」を軸に今回のイベントは構築され、地元の”自主性”と、”他とは違う価値観”の発信、持続性を持つための”教育”を柱にイベントを構成することになりました。

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湯原に入るのは10月であり、非常に短期間でこれを行う必要があり、これといった休養もなく作品制作を行いながら、チラシ制作、宣伝活動、全体のプロデュースを行う必要がありました。多くのスタッフを入れれば、意見の純度は薄まるため、そういったものは最小限に抑え、この中で宣伝の軸になる音楽祭「湯原音泉AIR」のプロデューサーに「薔薇と祭壇」展でお世話になった。月影詩歩氏を起用、地元の濱子さん、湯原支局の杉村さん、県の川崎さんとの仕事になりました。大変な状況の中、尽力していただいたことは、この場を使って感謝したいと思います。


イベントの中期に制作された、坂本弘道さん演奏のネット用宣伝動画


当初は、いきなり湯原支局にて喧嘩を売るような態度でもあり、戸惑われることもあったかもしれませんが、作品の純度を維持するためには、現代においては不可欠で、いわゆるコミュニティーにおける最大公約数的な作品制作を避けるためには必要なことでした。個人的には、アートにおいては現代的な企業におけるようなプロ意識のようなものを安易に当てはめるべきではないと思っていて、これを行うことは、他ジャンルに対して異なった価値を提示できないですし、知的多様性を失う行為に繋がるものとみていますし、文化における知的アイデア的なものは源泉を失い、循環しない水がそうなるように”腐敗”に繋がるのではないかと思っているからです。コピーのコピー等が乱立し、それが内輪の中で認められてまかり通るような状況もその一つでしょうか?コミュニティー等、集団の意見の平均値等はどこも似通っており、一人よりは二人、それよりも多数になるほど意見は一般的なものになりがちです。そういうものはいわゆる「デザイン」の役割であって、アートと名乗るものが、セミナー等でよく聞かれるような企業理念のような意見に洗脳され全国で乱立している状況に関しては非常に違和感を覚えるものでした。そういった中で失われた魂”スピリッツ”そのものが、この作品の主題になるものでした。

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ぼくは資本主義の否定派ではありませんが、それの一極化による状況の打破に関しても重要なことでありますし、現代の状況に対してあまのじゃく的なポジションである必要性も感じますし、多くの作家が陥りがちなことですが、資本主義を否定しながらも超資本主義的な意見を述べ、それを実践している状況をみて非常に違和感を感じていたこともあります。口で批判していても、行動的には大肯定といいますか、それを利するだけの行為というのは、美談ばかりを述べる人々にはありがちで、そういったものは企画も通りやすく、事実そういったものに席巻されているのが現代の日本における状況でしょう。正直な話、口で批判しながら、その対象を利する人々の存在についてはもっと社会の話題として取り上げて良い時期ではないかと思っています。

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posted by 超画伯 at 19:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 展覧会

2015年11月25日

湯原温泉AIR 中村智道展覧会 スピリッツ零三

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湯原温泉AIRメインイベント
中村智道展覧会「スピリッツ零三」

12月12日(土)〜12月25日(金)10:00〜17:00 展示会場:湯原温泉ミュージアム 入館無料 水曜日休館 但し12月19日(土)は、演奏会準備のため、展覧会はお休みいたします。

↓画像は、それぞれクリックで拡大します。
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スピリッツは、中村智道により制作された膨大なパーツ群であり、その構成によって構築される作品群である。今回の展示物もまた、パーツの一つなのである。
今回の作品は、このシリーズの第3弾となり、「スピリッツ零三」と名付けることにした。
現代の人間による創造的なモノは、多くの目線にさらされることになり、その目線を窺うかのごとく平均化され、一部の賛同をも得なければ存在しにくい状況になりつつある。インターネット等の普及により、それは更に顕著なものとなった。そして、大勢の意見の最大公約数的意見から導き出される作品からは、個は失われつつあり、当然ながら個性もアイデアも失われつつある。一時の安楽を望む群れによって、創造物は下げられ、安易に人目を気にする作家たちは一時の人気のためにそれに応じ、それを見る者は審美眼を失い、互いの下げ合いによる劣化はとどまることを知らず、負のスパイラルを描いていると言える。そして、芸術以外の一般的な社会でも同じような現象が起こっていることは明らかである。
この作品は、あえてコミュニティーで発表することで、それを問うものでもある。そう、失われたスピリッツを取り戻すべく。



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過去の毎日新聞の記事

※スピリッツパーツ(絵画)は、現在販売もしております。ご要望の場合は中村か、マネージャーの月影詩歩にお申し付けください。 月影詩歩 TEL:090-7377-8618 E-mail:696969bara@gmail.com

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主催:岡山県   アートプロジェクトおかやま連携会議     共催: 真庭市 真庭市教育委員会 後援:湯原町旅館協同
組合 (一社)湯原観光協会 サロン薔薇と迷宮 協力:湯原温泉ミュージアム  シネマニワ 湯本コミュニティー協議会
posted by 超画伯 at 04:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 展覧会

2015年11月19日

湯本神社御大祭 写真展について

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先月、湯原神社御大祭の写真を撮影したわけですが、これは、ぼくが自主的に勝手にやったことで、一種のここに住まわせてもらっているお礼としていったものでした。現在、ぼくがこの地での物的エネルギー量をそれほど保有しているわけでもなし、何らかの形でお礼ということで、労力という形でお返ししたものでした。


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そして、それは湯原温泉AIRのプレイベントで、写真展という形になりました。
写真は湯本コミュニティーに提供したもので、それをどう扱っても良いというものでしたが、こういう運びになったわけです。そして、これは、この地にとってとても重要な事だとも思うのです。
当初、レジデンスに入るにつき、ぼくは、かなりきつめの発言をしました。「ぼくが、この町の象徴であるハンザキのモニュメントを作っても意味が無い」「ある集団から受けた依頼を形にしても、それはアートというよりはデザインだ」「集団から得られる最大公約数的なアイデアは、個性が無く、どこも似通っており価値が無い」「ぼく一人を町に入れたところで、大勢に影響はない」「この事業に仮にごくわずかな影響があったとしても、それは数ある事業の中の一つでしかなく、引き続き継続して多くの事業に取り組まなければ何の意味もない」「もし仮にアートでにぎわっているように見える地域があるとしても、それは背後に大資本が動いていることをお忘れなく。原理としては工業団地が潤っている状況に等しく、そして、それは現在ここには無いのだ」等々・・
ならば何が必要なのかと言えば、他の地域にはない価値を創造する力を養うことなんだろうと思います。それに必要なものは、まずは自主性であり、それを持続する意欲だと思います。
以前から、現行型のコミュニティーアートに関しては批判を行ってきたわけですが、特に多いのは行政が行う場合お金の流動が無く、税金だけを消費し、無料でイベントを開催し、ただただ税金を消費するだけの形・・ここだけを見ても分かるかと思いますが、なぜか税金が消えゆく末端がここにもあるわけです。一つの事業だけを見れば大したことは無いかもしれませんが、塵も積もれば莫大な金額となることは想像できます。そういうものは、実は皆さんからじわじわと搾取されていることもお忘れなく。そして無料で開催されたイベントの報告として重要なのは客の動員かと思いますが、これのほとんどは通行人のカウントであったり、ただの水増しということをぼくは知っています。
このコミュニティーには、それを良しとしない人もいて、「今まで湯原がそのように無料の奉仕をしたために現在の状況がある」と言われている方もいます。
結果としては、価値には対価をということだと思うのですが”謝礼”をいただくことになりました。もちろん、これは、ぼくが頼んだことではなく、自主性からということになります。この謝礼をエネルギーのようなものと捉えれば、いくらかの行動のためのエネルギーになったことになります。ぼくは、この謝礼を宣伝のための移動費(ガソリン代)に変換して、現在も活動を継続中で、これが何倍にもなって帰ってくることを望みます。そして、こういうエネルギーの循環こそが、この町の再生のカギとなるものだと思えます。勘違いの無いよう言いますが、これは、あくまでものすごく多くの事業を持続的に行えばということになると思います。小さな力が沢山必要だということです。
奉仕という美談だけでは、その活動が続くこともなければ、流れの無い水と同じく淀んで劣化することは目に見えると思うのです。

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posted by 超画伯 at 22:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 展覧会

2015年04月28日

「薔薇と祭壇」展について

Bara to saidan from Tomomichi Nakamura on Vimeo.


昨年2014年より、作品”スピリッツ”の制作を開始するにつき、作品の展示とパーツ制作、およびアート等のディスカウント活動を開始しました。
この活動により、多くの人が、自分から離れていくだろうと思ってましたが、予想外に味方ができてきました。
そんな中、いち早く声をかけてくださってのが、サロン「薔薇と迷宮」オーナーの月影詩歩さんでした。
これは、このシリーズ最初の展示である、”総社吉日が辻”という県の事業で展示をするにつき、フェイスブック等で開始した、ぼくの書き込みに対して、彼女が声をかけてきたことによります。
そして、その流れから、自然に展覧会をさせていただくことになりました。これは、ぼくにとって非常に久しぶりの個展でもあり、十数年ぶりの個展になりました。

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展覧会の約束をした後、その帰りに決めた展覧会名は「薔薇と祭壇」
これは、薔薇と迷宮の店内の形状、そして、店名と福山市のシンボルでもある薔薇から、すぐに決まった題名となります。
”スピリッツ”はパーツ構成形の作品で、さまざまな形に変化していきます。
展示形態に関しては、前回は原始的な宗教形態のようなものであったのに対し、曼荼羅形式での、自己の写し身としての展示ということになりました、副葬品である小さな絵画に関してはその世界の要素として配置しています。

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今回新たに制作したパーツの中に、経本とろうそく立てがあります。ろうそく立てに関しては、この薔薇と迷宮から来たイメージで、花もイメージした円形のものになりました。
そして、経本に関しては、熱い視線を感じる例のイメージを皮肉ったものです。
コミュ二ティーアートをはじめ、感じることですが、現在の作品に感じるのは他者の目線です。そして、その目線により、多くの人の行動は限られていくことになり、アーティストと名乗る者までが、その他大勢の目線による、同調圧力により萎縮化して、その作品は等価値化しつつあるというのが、地方に住んでいて感じる感想ということになります。
地方において感じるのは、大都市圏に対して非常に見通しが利くということで、そういった現象がいち早く見られることになります。
当然ながら、そういったものは、言葉の定義や一般常識など、制度の中でがんじがらめになったものですし、既存の価値観の中みでのチョイスでもありますし、本来のアートの役割を大きく損ねるものでもありなすし、形態としては、むしろデザインに近いものといったほうが良いかもしれません。
これを、アートといい、その言葉を無意味化する現象が地方創生等もかれめられ、全国で起こりつつあるという感じでしょうか?
当然ながら、そこで行われるのは、既存のイメージのリサイクルということになると思います。
これは、単純にアートの問題というだけでなく、現代の問題とも言えて、こういった多数の目線に対する意識から、いびつな萎縮した社会が形成されているともとれるわけです。
現在のアート等はそれが非常に分かりやすい状態で現れているのであり、現代の縮図としても皆さんに理解していただきやすいものとして、ある意味注目していただきたい部分でもあります。

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ぼくの展示につき、月影さんの応援もあって、さまざまな新聞社によって記事が書かれることになります。
その中でも印象深いのがこの記事で、これは言わば記者の方が作品に同調して書いた記事という印象を受けました。
問題は、その他多くの場面で起こっているのであって、それを感じる他ジャンルの方も多くおられるということかもしれません。
こういった内容は、普通に考えれば、特定人物ではなく、読者も含めた多数の人たちを指すのであり、更にクリーンに収めたい文化記事としては、非常に珍しい記事になったと思います。

以下は、フェイスブックより、この展覧会関係の記事をコピペしようと思います。
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posted by 超画伯 at 15:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 展覧会